備考


【補足と要約】 

BL(ボーイズラブ)は、男への変身願望のある女オタク向けのポルノですが、BLが好きな腐女子であっても、それ自体はただちに精神の病気であるとは言えません。しかし腐女子がフェミニズムの運動をはじめたというのは、BLの中で男に変身するだけでなく、現実世界でも男として扱われたくなった、という事を意味しています。腐女子という趣味と、発達障害や精神の病気が重なっていると、性欲の制御ができなくなり、生殖拒否の精神症状が現れます。腐女子でありながらフェミニストというのは、精神の病気が悪化して性同一性障害になりつつあるという事です。女装男は女湯や女子トイレに入りたいと言うので「これは変態」だとすぐに誰もが分かりますが、男装女は男湯や男子トイレに入りたいと言わずに、社会進出したい、とか女性差別に反対、などと言うので変態だとわかりづらいものです。同じ変態でも男の変態と違って、女の変態は変態に見えずに、しばしば進歩的な社会運動をしているように見えます。「体の性別に違和感がある」とか「世の中に女性差別が蔓延している」って、言い訳の仕方が違うだけでどちらも性転換を正当化する屁理屈です。

フェミニズムは女性差別に反対する運動ではなく、男への変身願望を社会に認めさせるFtMの運動であり、男の定義を書き換えて、手術なしで女を男として扱おうという、トランスジェンダーの運動と同じです。フェミニズムの運動とトランスジェンダーの運動は名前こそ違うものの、どちらも中身は同じです。女性限定の性転換運動がフェミニズムで、男女共用の性転換運動がトランスジェンダーです。フェミニズムにMtFが参加するとトランスジェンダーの運動になり、トランスジェンダーの運動からMtFを追い出してFtM専用にしたものがフェミニズムです。トランスの運動とフェミニズムがネット上でよく喧嘩をしているのは、トランスは男→女も女→男もどちらの性転換も推進する運動であるのに対して、フェミニズムは女→男は推進するが逆の男→女は絶対に許さないという方針の違いがあるからです。女が女の役割を放棄する事を称賛しても、男が男の役割を放棄する事をフェミニストは許しません。

男が女になる事は「性転換をする」と表現されますけど、女が男になる事は性転換をすると言わず「女性差別をなくす」と表現されます。男は髪を長くしたりスカートを履くと即座に女装になりますが、女は髪をベリーショートにしたりズボンをはいても直ちには男装と見なされません。男が女性専用エリアに入ると不法侵入ですけど、女が男性専用エリアに入るのは社会進出と言われます。MtFの運動は女湯や女子トイレが焦点になるのがほとんどですけど、FtMは男湯や男子トイレには最初から入り放題ですので、逆にトイレやお風呂以外の就労や福祉や文化などのあらゆる場面で、際限なく男性化を要求します。男性の女性化と違って、女性の男性化は常に社会の最優先課題です。女になりたい男にはトランスジェンダーの運動だけしか手段がありませんが、男になりたい女はトランスジェンダーの運動とフェミニズムの2つの選択肢があります。

MtFって豊胸したり髪を長くしたりして、女の格好になりたい人が大半ですけど、逆にFtMって髭をはやしたり男らしいマッチョになりたい人は実は稀で、女みたいな中性的なイケメンになりたいという人が大半です。性転換前は化粧をしたり女の格好をするのが嫌だと言っていたのに、性転換をはじめて声が低くなってから、女装男子に憧れて我慢ができずに化粧や女装を再開するのはFtMでは普通です。男性ホルモンを入れて毛深くなったのに、わざわざレーザー脱毛をしてツルツルにしたり、ホルモンで声がおっさんの様になって戸籍を男に変更してから、生物学的に完全に女なのにMtFだと偽って「ニセニューハーフ」として働いているFtMといった様な、わざわざホルモンや手術をする必要があったのか疑わしい奇天烈なFtMがたくさんいます。MtFは「女の格好」が好きですが、じゃあFtMは「男の格好」が好きなのかといえば必ずしもそうではなく、実はFtMも「女の格好」の方が好きな人が多いので、FtMってトランスの運動よりもフェミニズムの運動をやった方がお得で、実際にFtMやその予備軍はそちらに回収される人が大多数です。逆にMtFで男性差別反対運動(マスキュリニズム)をする人って、ほとんどいません。男がGIDを発症すると、女の格好をはじめてストレートにMtFになりますが、女がGIDを発症すると、大多数は男の格好をしてFtMにならずに、女の格好のままフェミニストになります。

FtMや腐女子が、女性差別に反対する運動をするのって、性同一性障害の人がジェンダーフリーの運動をするのと同じ様に矛盾してます。性別に固執しているのはGID本人なのに、GIDの人は性別におおらかな世の中の健常な人達に向かって、「性別に固執するのをやめろ」と訴えます。女性差別をやめられないのはFtMや腐女子本人なのに、フェミニストは世の中の女性を差別しない健常な人達に向かって、「女性差別するのをやめろ」と訴えます。70年代の日本のオリジナルのGIDの人達って、男なのに女にしか見えない/女なのに男にしか見えない事を理由に、世の中の外見差別のせいで緊急避難的に性転換を強いられた人達ですが、現在のGIDの人達は特に外見が異性に酷似している訳ではないのに、自分自身の外見差別のせいで自分を差別して性転換した人達です。重症の人は自分が性転換するだけでなく、医者や活動家になって他人まで性転換させようとします。

かつてのフェミニズムは、女性である事を理由に政治や労働の面で差別されてた人達の運動でしたが、現代のフェミニストは別に女性差別をされてる訳ではないのに、自分自身の女性差別感情のせいで、レースクイーンやグラビアアイドルやアニメ漫画の女キャラなどの女性排除を強行しようとする人達です。重症の人は他人の女性性を攻撃するだけでなく、自分自身の女性性も許容できなくなり、FtMになります。 昔は外見差別や女性差別の被害者の方がGIDやフェミニストになりましたが、今は女性差別や外見差別の加害者の方がフェミニストやGIDになります。女を人間扱いしない女性蔑視な女は「私は女だから人間扱いされていないのだ」と女性蔑視に憤る女に一瞬で化けてしまいます。女性に対する差別感情が強ければ強いほど、私は女性だから差別されているのだと被害感情が強くなります。まるで手品みたいですけど、統合失調症とほとんど同じです。自分の心の中の声が、心の外からの実際の誰かの声の様に聞こえてしまう幻聴とほとんど同じ仕組みで、自分自身が女性差別をしているのに世の中の人たちが女性差別をしているかのように錯覚します。 女性差別をするミソジニストと、女性差別に反対するフェミニストって同一人物です。

女性差別に反対するのは結構な事ですが、女性差別に反対と言った直後に、同じ口で同性愛差別に反対と言っている人を見ると、女性差別に反対というのは嘘だったのかと残念に思います。「女性差別と同性愛差別に反対」って「ミソジニーとミソジニスト差別に反対」と言ってるのと同じで矛盾してます。正しく言うなら「女性差別と同性愛賛美に反対」とかもしくは「フェミニズムと同性愛差別に反対」と言うべきです。フェミニストが同性愛を賛美するのは、フェミニストの大多数が女性に対する差別意識を持つ腐女子だからです。一般的に男よりも女の方がミソジニーが強烈だったり男尊女卑の気持ちが強い事がよくあります。いじめっ子よりもいじめられっ子の方が人をいじめる気持ちが強かったり、美女イケメンよりブスブサイクの方が整形依存になりやすいのと同じです。男の間で同性愛が流行る様な戦争の時代には男尊女卑が強固になりますし、女性差別のない男女平等な平和な時代には同性愛をやる男は一部のスカトロ趣味の人くらいしかいなくなります。 女性が社会進出して男女平等になった平和な異性愛前提社会に適応できないから、古代ギリシャや戦国時代の様に、女に発言権のない代わりに弱者として保護されて女性性を発揮しなくても済む、男尊女卑な戦争の同性愛前提社会に戻したいという、フェミニズムとは真逆の本音が腐女子にはあります。「同性愛差別に反対するが、女性差別にも反対」というのは、男尊女卑な世の中に戻りたいが、自分だけ男の仲間に入れてもらって女卑から免れたい、という虫のいい話を言っています。フェミニズムは一人一派というのは、自分という女を差別するのは許さないが、自分以外の女を差別しないのも許さないという意味でしょう。フェミニストって集団全体としては「ミソジニーに反対」をスローガンにしてますけど、一人ひとりを個別に取り出してみてみると、みんながみんな自分だけが他の女を出し抜いて男扱いされたいという強烈なミソジニストです。

男どもは男尊女卑やマッチョイズムやホモにうんざりしてるのですが、マッチョイズムから降りようとすると、女どもから「同性愛を差別するな」と尻を蹴られるので、仕方がなく、女のために男尊女卑を演じてあげています。フェミニストが「同性愛を差別するな」というのは「男どもよ、女にうつつを抜かさず、マッチョなミソジニストであれ。」という意味です。ミソジニーをやめろと言いつつも、でもやっぱり、ちゃんとミソジニストにならないと駄目だと言っています。男がいくら男尊女卑や殺し合いやホモを拒絶しても、女は自分が戦場に行かないからって、いつまでもマッチョイズムや戦争や同性愛を美化します。マッチョなホモってただでさえ男社会における強者なんですけど、ポリコレから弱者と認定されて二重に守られていて、反対に男なのに男らしくないナヨナヨしたノンケ男は、ただでさえ男社会やマッチョなホモにいじめられますけど、ポリコレから同性愛差別者(マッチョ男差別者)だとして二重に叩かれます。左翼の人たちがポリティカルコレクトネスと言って弱者を特別に擁護してあげるのは、それ自体は悪いことではないんですけれど、同性愛って弱者を庇護したり男尊女卑に反対する人たちにとっては最大の敵なのに、なんでその最大の敵を最大の味方と誤認して擁護してしまっているのか、致命的な勘違いです。同性愛を奨励するのって普通は右翼や男尊女卑な人たちのすることです。

フェミニストのマッチョイズム賛美やホモ信仰はかなり深刻ですが、腐女子がなんで男尊女卑なのかって、言うまでもなくアニメや漫画がそれを煽っているからです。腐女子ってヤクザや戦国武将やお酒タバコ同性愛などの古臭くてステレオタイプな有害な男らしさが大好物です。同性愛差別反対などといって現実世界の男に漫画みたいなマッチョイズムや有害な男らしさを強制するだけでなく、自分自身もアニメみたいな有害な男らしさを身にまとってFtMになってしまいます。性同一性障害の人って「なんでGIDに苦しまなくてはならないんだ普通に戻りたい」「GIDなんかになりたくなかった!」ってよく言いますけど「じゃあ性転換を今すぐやめればいいじゃないか」って言ってあげると、断固拒否して怒ります。フェミニストにも「女性差別が苦しいなら今すぐやめればいいじゃないか」って言ってあげると、それは同性愛差別だって激怒します。BLってどう見てもミソジニーの固まりですけど。性転換をする人も女性差別をする人も、性転換や女性差別に反対する人達を押しのけて自分から自業自得の用に苦しんで、最終的に性転換や女性差別を止めてくれた人に、牙をむきながら助けを求めます。「お前たちが私を助けてくれば私は性転換や女性差別をしなくても済むのだ」といいますけど、助けてあげると即座にその発言を反故にしてまた性転換や女性差別を再開します。パチンコなんて大嫌いとかパチンコ屋をぶっつぶすと言いながらも、パチンコ通いのやめられない人みたいで、言ってることとやってる事が真逆になりますが、ヒステリーといいます。

パチンコにしてもGIDにしても、依存症になってしまう背景には本人に持続的な苦しみがあります。顔や体の形にコンプレックスがあったのか、家族に精神障害の多い過酷な生育環境が多かったのかは定かではありませんが、お酒やタバコやパチンコにはまるのでなければ、大抵の精神の病気は生殖拒否として現れます。反出生主義という生殖拒否を自由な生き方だと掲げる考え方がありますけど、FtMの人って大抵SNSのプロフィール欄に反出生主義って書いてあります。子宮を摘出して物理的に反出生主義を実行したのがFtMの人たちですけど、もはや身体的に生殖不可能になっているにも関わらずそれでも反出生主義という言葉をプロフィール欄に掲げたまま降ろしません。反出生主義って男でいうと、射精するのが嫌って人たちがそれに該当します。射精をすると不快な気分になってしまうので、射精前のだらだらした微弱な性欲に浸っていたいという人たちですけど、反出生主義の女性とほとんど同じ種類の人たちで、統合失調症の陰性症状みたいなものに常に苦しんでいます。男装や性転換を実行しない人をGIDというのは変ですけど、反出生主義の女性ってほとんどFtMである事とイコールです。反出生主義の女性に抗うつ剤を飲ませるとFtMになってしまうかもしれませんけど、生殖拒否は生き方の自由ではなく、その自由が失われる、自殺に匹敵する重症の精神の病気である事を、法律的には20歳までに理解できる様にならないといけません。

アニメ漫画やBLにうつつを抜かしても、精神が健常なら生殖活動と切り離して自制する事ができますが、日本のフェミニズムの運動は、自制能力の乏しい精神障害者をFtMに誘導している様なものです。欧米の宗教が同性愛を神聖視しながら、建前上では厳しく弾圧したのと同じ様に、日本のフェミニズムは建前上では男尊女卑を批判しながら、同時にマッチョイズムを崇拝して世間に強要しています。ミソジニーをこじらせている腐女子がフェミニズムに接触すると、ミソジニーをより強固にして、自分自身のミソジニーが自分に跳ね返って子宮を摘出する事になりかねません。フェミニストは女の子宮をえぐり出してしまう程の重症のミソジニストなんですけど、本人は女の子宮をえぐり出してしまう程に日本社会のミソジニーは酷い、と思い込んでいます。FTMや腐女子はミソジニーの被害者ですが、同時に加害者でもあります。フェミニズムはFtMになりかけの女の子を、手術やホルモンに手を出さない様ギリギリで引き留めていますが、逆に言うと手術やホルモン以外の全てを男性化する方向に誘導してますので、フェミニスト本人は自分自身の性転換願望を全く自覚しないまま、自分はただ女性差別に反対する運動をしているだけだとのめりこんでしまいます。

フェミニストは男になりたい願望を我慢するかわりに、男になりたい願望以外の全ての願望を理不尽に社会に要求します。フェミニストの要求を全て受け入れて、男になりたい願望以外の全ての願望を叶えてあげたとしても、それは男になりたい願望には決してかないませんので、フェミニストはいつまでたっても満足しません。どれだけ女性を優遇してあげても、それはフェミニストの本当の願いではないからです。いつまでたっても世の中から女性差別がなくならないのは、他ならぬフェミニスト自身が自分の性別を拒絶しているからです。「どれだけ優遇されていても、女という性別は無条件で嫌」だと言うのであれば、世の中に蔓延する女性差別の正体ってフェミニスト自身の男性化願望ですので、フェミニストは自分で自分の影と延々と戦っているようなものです。腐女子のフェミニストって、要するに放火魔の消防士で、文字通りのマッチポンプです。

【性同一性障害について】

性同一性障害/性別違和は、ホルモン療法や手術では治らず、症状を悪化させます。手術なしでも戸籍を変更できる様に、速やかに特例法を改正するべきです。GIDと診断されている人には、服務規定を特別に免除してあげて、決して解雇しないでください。性同一性障害が嘘である事が世間に広がれば、GIDの多くの人が悲観して、離職したり、引きこもったり、自殺してしまう人が出てきます。離職しないよう、引きこもらない様、自殺しないように支援してあげてください。現在、性ホルモン剤はネット通販で誰でも購入する事が可能です。登校拒否で引きこもりの中学生でも、親に内緒でホルモン剤を海外から個人輸入して、誰にも知られず性転換をこっそりはじめる事ができます。また大学進学などで一人暮らしをはじめるのと同時に、ホルモン剤に手を染める子供もいます。自宅に郵送されて親にバレてしまわない様に、郵便局留めで受け取る事もできますので、異性装の趣味やその気配のある子供のご両親は、ゴミ箱に錠剤のシートが捨てられていないか確認するなどして、性転換を見逃さないでください。

また、GIDの人達を性的に漁ったり、GIDのパートナーになる人達は、ほとんどGIDと一緒の精神障害です。GIDを治療するにはGID本人だけでなく、そのパートナーも一緒でなければいけません。性同一性障害という病気は、性転換をする本人だけでなく、そのパートナーや、性転換を支援する学者や弁護士や活動家、性転換医療を実施する医師も含めて、オウムの様なオカルト共同体を形成しています。性同一性障害という病気は、GIDの仲間と接触したり、その運動に感化される事で発症しますので、ジェンダーやLGBTやフェミニズムなどのオカルト運動とは距離を取る様に気を付けてください。

逆に、性転換を支援する人たちだけでなく、性同一性障害の人を差別虐待しようとする人も、だいたい性同一性障害と同じ様な人々です。GIDを差別するのってほとんどが同じGIDです。性転換を支援する学者などはTRA(トランス活動家)と呼ばれていますが、TRAと対立している集団に、偽物のGIDを許さない「TERF」という、自称本物のGIDの集団があります。twitterでは毎日、GIDとフェミニストが一緒になってトランスジェンダーを攻撃しています。トランスジェンダーとGIDって同じですけど、TERFの人達が言うには、性別違和を感じていて手術に積極的なのがGIDで、手術を受けようとしない偽物がトランスジェンダーだそうです。GIDの存在を懐疑してトランスジェンダーを支持しているのがTRAで、GIDを支持してトランスジェンダーを偽物の変態だと攻撃しているのがTERFです。TERFってGID(トランスジェンダー)を差別する人達ですけど、ネット上には自分自身がGIDというTERFの人がいっぱいいます。TERFは精神障害者の排除や断種をすすめる右翼や保守派に支持されていて、TRAは家族制度の解体を目指す左翼リベラルの支持されていますが、TRAもTERFもいずれもGIDによる病識のないオカルト集団です。

GIDの人には異性に似ているパスしやすい外見の人も、そうでない人もいますし、精神の病気が丸見えの人も、健常に見える人もどちらもいます。twitterに無数にあるGIDのアカウントの中には、陰謀論や支離滅裂な文章を投稿していたり、ツイートを見ただけで明らかに軽い知的障害や統合失調症だとはっきり分かるGIDが結構います。TERFのGIDって、見た目がパスしないGIDや精神障害が丸見えになっているGIDの人を見つけると、自分の精神障害が指摘された様に感じて、激しい憎しみを抱いてその人を攻撃します。逆にパスしないGIDの人がTERFになって、パスするGIDを嫉妬心で攻撃する事もあり、TERFってGIDの特徴的な精神症状がよく表れています。GIDを発症したばかりの人や、心の性別を本気で信じ込んでいる人がよくTERFになります。GIDの中でも手術やホルモンを戸惑っている人や、手術を後悔し始めている人、GIDが治りかけている人達って、必ずTERFのGIDから「お前はニセモノだ」と言って袋叩きにされますので、GIDをやめる時はTERFに見つからないようにしなければいけません。TRAはGIDに偽物も本物も存在しないという方針で、パスしないGIDや精神障害が丸見えなGIDや手術を受けないGIDに対して寛容ですけど、性転換を素晴らしい進歩的な生き方の様に思い込んでいて、子供を性転換に勧誘したり世の中に生殖拒否を普及させる運動に閉じこもってしまいTERFと同じ様に病識がありません。

フェミニストは2018年までずっとGIDやトランスジェンダーを支持していましたが、2019年から「GIDの中に、GIDに成りすます偽物の変態が混じっている」と主張しはじめて、偽物のGID(TERFの言う所のトランスジェンダー)を攻撃する様になり、いわゆるTERFのフェミニストが発生しました。これは要するにMtFとFtMが仲間割れをはじめたという事です。MtFって同じMtFをよく攻撃しますけど、FtMの事をほとんど攻撃しません。逆にFtMってMtFの事を物凄く攻撃します。MtFにもTERFはいますが、FtMは大部分がTERFです。女になりたい男はトランスジェンダーの運動しか選択肢がありませんが、男になりたい女はトランスジェンダーの運動がなくてもフェミニズムという選択肢がありますので、トランスジェンダーを否定してフェミニズムだけを推進すれば、MtFを排除してFtMだけを普及することができます。脱コルセット運動というトランスジェンダーでなくフェミニズムの文脈でFtMをめざす運動も同時に見られる様になりました 。GIDの人達は性同一性障害の特例法から手術要件がなくなる事(手術をしなくても戸籍の性別の変更を認める事)に断固反対する立場をずっととり続けていましたが、2019年にフェミニストがトランスジェンダーを攻撃しはじめてからは、今度はGIDだけでなく、フェミニストも手術しなくても戸籍の性別を変更できるようにする特例法の改正に猛反対する様になりました。

女子トイレに入りたい変態男と、女子トイレに変態男を入れたくないフェミニストって、実は「特例法の手術要件の削除に反対」という点で見事に意見が一致しています。だって変態男って女子だけの空間に侵入したいのであって男女共用トイレに侵入しても何も面白くありません。だからMtFって女子トイレを女子だけの空間にしておきたいんです。女子トイレに変態男を入れたくないフェミニストの人達も同じ意見です。女子トイレに入りたい変態男と変態男を女子トイレに入れたくないフェミニストが悪魔合体したのがTERFですけど、さらにそこに精神障害者を隔離断種したい保守派の人達が加わって、性同一性障害のための特例法の強力な支持基盤になっています。TRAとTERFの戦争はGID同士の仲間割れで、中核派と革マル派の内ゲバの様なものですが、それがGIDの内部だけでなく日本全土に広がって、日本という国全体がGIDになっていきます。精神の病気の人を排除して断種するのか、排除も断種もせずに受け入れるのかの判断を、日本人全体が求められていますが、現状では排除して断種するという意見が優勢です。

精神の病気の人が精神の病気の人を助けようとすると必ず共食いになります。弱者は弱者を救うことができません。GIDを助けるためには、弱者ではない精神の病気でない人が、遠くから助け舟を出してあげるしかできません。性転換医療を実施しているお医者さんやGIDの特例法の悪口を言うと、性同一性障害やTERFの人達が噛みついてきますが、悪徳な建築業者からお金を巻き上げられる痴呆老人や、探偵事務所のカモにされる統合失調症の人達と同じです。騙す側と騙される側が同じ病気で結託していますので、騙されている人に「騙されているよ」と教えてあげても、騙す側と騙される側の両方からの攻撃を受けます。手術をしないと性別の変更を認めないというのは、精神障害者を騙してお金を巻き上げるする探偵事務所や建築業者を擁護するためのものでしかないんですが、騙されている側の人達の方がこの法律を死守しようとします。精神障害者を騙そうとするTRAの言いなりになってはいけませんし、精神障害者を憎んで断種しようとするTERFの主張もちゃんと否定して、手術やホルモンをしなくても性別を変更できる様に運動をしてください。体を破壊するのではなく文化を破壊するべきです。 性転換医療は発達障害の人に対する優生医療です。発達障害の人が、自分の様な人間は生まれてこない方が良かったと思う気持ちが、発達障害の人が同じ発達障害を憎んで銃を構える気持ちになります。女湯や女子トイレに男が入ってきても何も起きません。FtMの人たちはアメリカのニュースを持ち出してMtFがいかに危険かを必死で訴えますけど、日本においてはそのような事件は発生していません。性同一性障害って文化に固執して体を破壊してしまう病気ですので、変態の体を破壊したり、体を破壊したい変態の言いなりになってまで文化に拘っていてはGIDと同じ病気です。文化が変えればそもそも性同一性障害はいなくなります。生殖して世代交代をする事を性同一性障害の治療にしなければいけません。

【同性愛の誤解とLGBT】

タバコを吸う趣味のある人を喫煙者と言うように、同性で性交する趣味のある人を同性愛者と言います。同性愛者は決して生まれてくるものではなく、気軽に誰でもはじめたり自由にやめられる「趣味の名前」です。同性愛は誰がやって気持ちがいいものです。最初の一回目は抵抗がありますが、慣れれば誰にとっても普通の快楽で、喫煙や飲酒と同じです。同性愛の趣味をはじめるのに特別な素質なんて必要ありませんし、同性愛の趣味があるからといって、特権階級でもなければ保護されるべき弱者などではありません。昔の男は大人になったら誰でも同性愛者になるのが普通でした。喫煙、飲酒、同性愛は大人の社交マナーであり、いい年してタバコが吸えない男やお酒が飲めない男や同性愛ができない男は未熟者として馬鹿にされました。軍隊や宗教の中では、新しく入ってきた新入りには先輩が同性愛を強要するのは日常茶飯事です。同性愛ができないひ弱な異性愛者の男は男社会では出世できません。 「最近の若者はタバコを吸わない、お酒も飲めない、同性愛もできない軟弱者ばかり」と昔から言われていますが、お酒タバコ同性愛の中で、同性愛は一番早くに廃れ、近年は禁煙が広まり、飲み会を拒絶する若者も多くなっています。

昔の戦争の時代は、現代の様にメディアやポルノがなく、男女隔絶されていたので、人並みに性欲のある男はみんな同性愛を覚えました。成人男性においては同性愛者の方が多数派な時代もあります。現代は戦争をしなくなり平和な時代になったので、大人になっても同性愛者にならずに異性愛者のまま過ごすライフスタイルが多数派になっただけです。同性愛は男女隔絶する時代に流行りますが、同性愛を賛美するのは戦争を賛美するのとほとんど同じです。大昔の人はみんな「同性愛は異性愛より高貴だ」と考えていましたが、平和な時代になり同性愛を賛美する風潮が廃れ、女性や異性愛者の男でも社会進出できるようになりましたが、芸能界や軍隊などの社会の底辺では、今も飲酒当事者や喫煙当事者や同性愛当事者じゃないと出世できません。

ちょっと前までは同性愛って男尊女卑やマッチョイズムの象徴で、保守派や右翼が同性愛を賛美して、左翼や共産主義者が同性愛を権力者のブルジョワ趣味だと批判していました。しかし三島由紀夫が切腹して新左翼が潰れてから、同性愛は男女平等やマイノリティの象徴になり、左翼やリベラルが同性愛を賛美して保守派がそれを懐疑するという逆転が起きています。戦後しばらくは同性愛=男性的だったのが、三島由紀夫がお腹を切った辺りから同性愛=女性的というイメージに反転しました。これは戦争の時代になれば性転換が廃れて同性愛が流行し、平和な時代が続けば同性愛が廃れて性転換が流行る成り行きが、世間の同性愛のイメージに反映されたものです。欧米の左翼やフェミニストが同性愛差別に反対するのは、キリスト教の権力者である同性愛者が一般庶民の同性愛者を長く差別していたから当然なんですけど、権力者側が常に同性愛を奨励していた日本の左翼やフェミニストが同性愛差別反対の運動をするのって変です。同性愛が禁断の愛だった時代は日本にないにも関わらず彼らは「同性愛は禁断の愛」といつまでも吹聴していますし、同性愛差別なんて今も昔も日本にないのにもかかわらず、彼女達は「同性愛差別に反対」といつまでも言い続けています。まるで禁断の愛や同性愛差別に憧れてるかの様です。

「ホモソーシャル(男性社会)は同性愛を排除しようとする」みたいな事をフェミニストは主張していますが、それってキリスト教の話です。日本ではホモソーシャルとホモセクシャルは一致していますので、日本の男性社会は同性愛を排除しませんし、歴史上した事もありません。男に成りすまそうとしては失敗して排除されるのを繰り返す腐女子やFtM達が自分達の境遇を欧米の同性愛差別とすり替えて勘違いしているものと思われます。LGBTの運動ってせいぜい十数年前の2000年代から始まっただけですけど、日本は50年前の三島由紀夫が切腹した1970年代の時点でも、当時の文化人の間では「同性愛は異性愛より優れている」という考え方が広く支配的でしたし、さらに遡って500年前の戦国時代でも、公権力や武士が「男女の愛より男同士の同性愛の方が美しい」などと吹聴していました。「同性愛は異性愛より高貴で尊い」ってアメリカ人にとっては新鮮ですけど、日本ではもう何百年も続いている、ものすごく保守的で古い、男尊女卑な武士の考え方です。日本人なのに同性愛の運動をしている左翼やフェミニストの人達って、まるで2000年代以降のLGBTの運動と共に芽生えた新しい価値観の様に思い込んでいてとても滑稽です。もしかしたら彼らは体は日本人でも心がアメリカ人なのかもしれません。

日本と違って同性愛差別が激しかった欧米でも、キリスト教の権力者は同性愛を嫌悪するフリをして実際は神聖視していましたが、それと同時に同性愛は神に背く邪悪であるという大嘘を何百年も言い続けていました。最近になってそれが建前の嘘であるとついに認めて、ようやく日本と同じ同性愛差別のない社会になったので、アメリカの同性愛者がLGBTの運動をに躍起になるのは必ずしもおかしくはありません。日本は階級社会ではないので、欧米の様に二枚舌を使って同性愛を嫌悪するフリが必要ありません。欧米の権力者は同性愛を神聖視しましたが、同性愛を自分達だけで独占するために、同性愛は邪悪なのだという嘘を広めて一般庶民に同性愛を差別するように仕向けました。日本の場合でも権力者は同性愛を神聖視しましたが、日本は権力者と庶民が血のつながった同族社会ですので同性愛を独占する必要性が薄く、権力者が同性愛を賛美して、そのまま一般庶民も権力者と同じ様に同性愛を賛美していましたので、同性愛差別は最初から発生しませんでした。同性愛差別って日本においては、同性愛は気持ち悪い。同性愛は邪悪だ。という気持ちから発生したものというより、同性愛は権力者や貴族だけに許された神聖なものであり、一般庶民が手を出すのは許されない、という気持ちから発生したものと考えた方が分かりやすいかもしれません。例えるなら、同性愛をネタにしたギャグを披露したり、ネット上の淫夢やパンツレスリングなどのミームを楽しむ人達が同性愛差別者なのではなく、そのミームに「神聖な同性愛を茶化すのはけしからん」と怒って取り締まろうとする人達の方が同性愛差別者の大本です。

タバコを吸う男は吸えない男より偉い。お酒を飲む男は飲めない男より偉い。同性愛者(ホモ)は異性愛者(ノンケ)より偉い。いずれも古い男性規範(マッチョイズム)ですが、アルコール依存症やタバコ依存症が病気であるのは常識なのに、同性愛しかできないのもそれらと同じ病気である事に、多くの日本人は納得できません。インカ帝国の人達が白人を神様だと崇拝したり、タンザニアの黒人がアルビノの子供を幸運の象徴だと崇めるように、現代人は同性愛の趣味のある人の中で、発達障害のせいで同性愛しかできない人を、LGBTやセクシャルマイノリティなどと言って神格化しています。同性愛しかできないのは、セクマイや神の遣いなどではなく精神の病気です。同性愛者でも大多数の、発達障害などでない健常な同性愛者はちゃんと異性と生殖して子供を作ります。そういう健常な同性愛者はバイセクシャルであり真の同性愛者ではないと、生殖拒否の運動をしている人達はいいます。発達障害の同性愛者しか「本物の同性愛者」や「神の遣い」ではないそうです。「私は昔は喫煙者だったが、今はもうタバコを吸っていない。」と言う人に「それはあなたは自分の事を喫煙者だと思い込んでいただけで、結局偽物だった。タバコをやめる事が出来たのなら、あなたは本物の喫煙者ではなかったのだ」と言ったらおかしいでしょう。タバコを吸っていたのならその行為が喫煙者であり、タバコ依存症にまでならないと本物の喫煙者ではないというのは変です。異性とも同性とも性交渉できるのはバイセクシャルは偽物の同性愛で、生殖を拒否する同性愛者が本物の同性愛者であるって、発達障害じゃないと本物の同性愛じゃないと言っています。「本物の喫煙者」とか「本物の飲酒者」なんて誰も言わないのに「本物の同性愛者」という謎の概念を持ち出す人は後を絶ちません。本物の同性愛って要するにGIDを変形させただけなんですけど。こんなヘンテコな人がいるのだから本物の同性愛者は存在するのだって言いたいのかも知れません。

この人達のいう「本物の」というのは「病気の」という意味です。中庸や軽症はダサくて、極端や重症はかっこいい。変更可能な趣味よりも、先天的な変更不可能であるのが立派。異性装だけのトランスジェンダーよりも、ホルモンや手術をして自傷するGIDの方が本物である。という具合に、自分の病気の重さを競い合って、病気が重ければ重いほど鼻が高くなる精神の病気のチキンレースをしています。三次元を拒否して二次元を愛し続けるのが本物のオタクである、みたいなのと似ていますけど、成功したアニメ監督とか漫画家ってちゃんと現実の三次元の異性と生殖しているのが普通ですし、同性愛者でも軍隊や宗教やヤクザの同性愛者ってちゃんと異性と生殖しています。三次元を拒否する自称本物のオタクとか異性を拒絶する自称本物の同性愛者って精神の病気を自慢するただのルサンチマンです。

アルコール依存症って、特殊な依存性のあるお酒を飲む事によって起こる訳ではありませんし、本人にアルコールを摂取しないといけない特殊体質がある訳でもありません。出世コースから外されたとか身内の不幸があったとか精神の病気が本体であり、体の病気ではありません。同性愛しかできないのも同じです。なんらかのショッキングな出来事があったとか精神の病気や発達障害が原因で異性との生殖を拒否しているのであって、同性愛しかできない脳の素質とか遺伝子などといったものはGIDの心の性別や性自認と同じで確認されていません。同性愛しかできない発達障害の人を先天的なマイノリティだと称して同性婚の運動をするのって、お酒がやめられない依存症の人をアルコール欠乏症という生まれつきの特殊体質と称してお酒を保険適応にする運動をする様なものです。同性愛しかできないのって、タバコやアルコールがやめられないのと同じで、物凄くありきたりな普通の精神の病気です。先天的なマイノリティでありません。

同性愛を差別するのはよくありませんが、同性愛しかできずに生殖を拒否するのは単なる病気ですので、その症状を個性やセクマイと美化して放置するのは誤った考え方です。異性と生殖した上で、いくらでも同性愛の趣味を楽しむ事ができますので、発達障害の同性愛者にも生殖活動ができるように訓練する必要があります。しかし現代で同性愛の運動をしてる人達って、その訓練を拷問や虐待と言います。同性愛者もちゃんと異性と生殖できる様にしたり、タバコ依存症の人やアルコール依存症の人にお酒やタバコをやめられるように治療するのは野蛮で非人道的な改造手術だと彼らは言います。同性愛そのものは生殖とは別にいくらでも自由に楽しめますし、同性愛そのものが悪い事であるとやめさせようとする人は誰もいませんので、この人達って同性愛差別に反対しているのではなくて、実際には同性愛を盾にして反出生主義の運動をしているだけです。

同性愛者を病気扱いせずに保護するには、同性愛はただの趣味だからちゃんと生殖を忘れないように仕向ける事です。逆に同性愛を病気扱いして駆除したいナチスの人達は、同性愛は先天的で変更不可能だから、生殖しなくてもいいよと唆します。日本で同性愛の運動をしてる人って、これを真逆に勘違いしています。生殖拒否を誘う優生思想の甘い言葉の方を信じて、自分を助けようとしてくれている人達の方をナチスだと糾弾して牙を剥きます。同性愛は趣味みたいなものだと発言すると、同性愛者の中の発達障害の人達に噛みつかれます。「喫煙者に生産性はない」とか「飲酒者は支援する必要がない」と言っても炎上しませんが、これが同性愛になるとみんな事実が見えなくなります。同性愛は趣味であり、生殖拒否は病気です。生殖拒否は自由であり。同性愛は趣味ではないと訴えるのはヒステリーです。

「お酒やタバコはただの趣味である」って正解率99%で子供でも理解できますけど、これが「同性愛はただの趣味である」になると、正解率が20%くらいに落ちて、大人でも間違えます。昭和以前は正解率99%だったんですけど、令和も十数年くらいになれば昭和以前の正解率99%に戻ると思います。平成だけ異常だった、同性愛者を先天的な奇形か何かの様に祭り上げる奇妙な流行や運動が平成の時代にあったと、歴史上の面白エピソードとして未来の教科書やテレビ番組で取り上げられると予想されます。

今のところ現代人の8割の人は同性愛とGIDの区別がつきません。この8割の人達って「ゲイなのに女に性欲を催すのは変だ」とか「レズビアンなのに男と寝るのはおかしい」みたいな事をよく言います。別に何もおかしくありません。おかしいと思うのってGIDと同性愛を混同してるからです。ゲイとかホモって男同士で性交渉する趣味の名前です。ギターを弾く人の事をギタリストと言ったりサーフィンをやる人をサーファーと呼ぶように、女同士で性交渉する趣味の人をレズビアンと言うだけです。ギタリストがピアノを弾いたりサーファーがサイクリングをする事だってあります。ギタリストが少しでもピアノを弾いたら、その人はギタリストと呼べなくなるのでしょうか。別にピアノがメインでギターは偶に少し嗜む程度でもギタリストと言えるでしょうし、ギタリストであるにはピアノに一切手を出してはいけないという条件がある、って何か変じゃないですか。ギターに一途で人生の全てをギターに賭けているガチ勢だけが本物のギタリストで、ギター以外の楽器を弾いたり趣味として楽しんでいるエンジョイ勢は本物のギタリストではないのでしょうか。ピアニストがギターをはじめたからって、その瞬間からピアノに興味がなくなったり嫌いになる事なんてありませんけど。この人は同性が好きなのだから、異性に興味がないはずだって、同性愛の話がいつのまにかGIDとすり替わってます。

同性愛者って同性が好きな人の事であって、異性に興味がない(と他人に言いふらしたくなる)のはGIDの症状です。同性が好きなだけの人は同性愛者である事をカミングアウトしません。「自分は絶対に異性に興味がないのだ」と他人に言わずにはいられなくなった同性愛者が、同性愛をカミングするようになります。GIDと一緒で生殖拒否の現れですけど、そういう人でもちゃんと異性に対する性欲を隠し持っています。とりわけネット上でレズビアンを自称してる人って大抵が反出生主義のフェミニストの人達ですけど、彼女達は同性愛者=異性に興味がない人達/生殖拒否が正当化できる人達と勘違いしています。同性愛しかできない人って異性に興味が無い訳じゃないんですけど、世の中のほとんどの人は「同性愛しかできない」とカミングしてる人を見つけると瞬間的に「この人は異性に興味が無い人なんだ」と思い込みます。カミングアウトする同性愛者はその思い込みが欲しくてカミングアウトをしています。

またネットには、同性と一度もセックスをしたことがないのに「自分は同性愛者かも」なんて悩んでいる変テコな人がいます。タバコを生まれて一度も吸った事がないのに「自分はもしかしたら喫煙者かも」なんて悩む人はいません。自分が同性愛者かも知れないなんて意味不明な事で悩む人って、心の性別や性別違和で悩むGIDとほとんど一緒です。「タバコを吸う人が必ずしも喫煙者とは限らない、喫煙当事者はタバコを吸うけど、喫煙者じゃない人の中にも趣味でタバコを吸っている人達もいる」っておかしいでしょう。「ゲイなのに女に興奮できるのはおかしい」とか「ホモじゃないのに男同士でセックスする人もいる」みたいな奇妙な事を言う人って、趣味や行為としての同性愛とはまた別に「心の同性愛」や「脳の同性愛」が存在すると言っているみたいです。思春期に背伸びして煙草やお酒に手を出すのはただのファッションや反抗期で、本物の喫煙当事者や飲酒当事者ではない、みたいな感じで、常習してるかどうかの違いでしかないんですけど、本人は「偽物と本物」って言います。GIDと同性愛を混同すると、同性愛は生まれつきだとか、同性愛者に本物と偽物がいる、みたいなアホな事を主張する様になります。 同性愛の趣味がある人でも「私にはホモの趣味がある」とか「自分はバイである」という風に自称してる人達は多分精神的に健常です。「自分はゲイの当事者である」とか「私はレズビアンとして生まれてきた」、みたいな自称の仕方をしている人は、その時点で発達障害や精神の病気の可能性の高い人達です。同性愛の趣味のある人が、GIDと一緒の病気にかかると「当事者」とか「先天的」っていう怪しいワードを持ち出す様になります。そういう人達がLGBTやフェミニズムの運動をしたり、逆にその運動を攻撃する事に躍起になります。健常な「趣味」の同性愛者は、その争いの様子を遠巻きにうかがっています。

ロリコンやアニメの美少女が好きでも、精神の病気でなければ、合法的な年齢の三次元の異性を選択できます。ロリコンじゃなくても、例えば動物に性的興奮を覚える人でも発達障害でなければ、動物とは生殖不可能だから、動物に対する性欲は趣味として棚に上げて、人間の異性を選択できます。好き嫌いの中身ではなく、一番好きなものしか許容できずに、生殖行為との使い分けができないのが発達障害です。特定の人物しか好きになれない、特定の性別しか好きになれない、特定の年齢しか好きになれない、特定の媒体しか好きになれない、特定の動物しか好きになれない、これらはいずれも精神の病気です。何に性欲を催してもそれ自体は病気でありませんが、生殖を拒否するのは病気です。ロリコンであっても、それを趣味と割り切っていれば病気でありませんし、同性愛であっても同性愛しかできずに生殖を拒否するならそれは病気です。ロリコンの生殖拒否は自己責任の極悪非道な精神病であり、同性愛者の生殖拒否は擁護されるべき先天的なマイノリティである、などという事はありません。生殖拒否が病気なのであって、性欲の対象の中身は関係ありません。自分の醜い顔が嫌いで整形依存になる人は本物の整形依存で、大してブサイクじゃないのにアイドルなどに憧れて整形依存になるのは偽物の整形依存である、なんて事はなく、整形に依存してる時点でどちらも同じ病気です。整形の動機は関係ありません。性別違和とか心の性別が苦しくて性転換するのは本物のGIDで、スケベ心で性転換する変態はニセモノのGIDである、というのも間違いです。性転換と称した自傷行為を実行するのが病気であって、性転換の理由は関係ありません。

同性愛の運動をしている人達って「同性愛者と異性愛者」とか「ホモとヘテロ」ってよく言いますけど、喫煙者の反対を「喫空者」と呼んだり、飲酒者の反対を「飲水者」と呼ぶようなものです。犬の反対は猫とか北風の反対は太陽という様に、異性愛者にある権利を同性愛者にも、と彼らは主張してますけど、お料理に塩を入れ過ぎたからといって砂糖を入れても中和して元通りにはなりません。同性愛者の反対は異性愛者でなくて、非同性愛者と言うべきです。同性愛者って同性愛の趣味のある異性愛者にすぎません。喫煙者もタバコを吸う喫空者です。異性愛者・喫空者・飲水者ばかり特権があってずるいから飲酒者・喫煙者・同性愛者も法的に保護するべきだと不平等を訴えるのは屁理屈です。結婚制度というのは、子供を育てて老人を介護するためのものであって、異性愛という趣味に特権が与えられている訳ではありません。「同性愛の趣味がある者は異性と結婚してはいけない」だったら差別ですけど「同性とは結婚できない」だけでしたら、同性愛を差別してる訳ではないと思います。同性愛者でも異性と結婚できますし、異性愛者も同性と結婚できないからです。「喫煙者は例え今タバコを吸ってなくても過去にタバコを吸っていたら飲食店に入ってはいけない」だったら喫煙者差別になりそうですけど「タバコを吸いながら飲食店は利用できない」だけでしたら差別って言う人は恐らくいません。同性愛者に結婚の自由がないのであれば、喫煙者には飲食の自由がありませんし、飲酒者には運転の自由がありません。

同性愛と言っても異性よりも同性との性交渉をする頻度が高くなったり、オナニーをする時に異性よりも同性を使う割合が一定以上になると、それぞれ勝手に「自分は同性愛者だなあ」って、何となく、ぼんやりと自認するだけです。同性愛の趣味のある人とない人の間に明確な境界線はありません。同性愛とGIDを混同している現代人は、ホモとノンケの間に男と女みたいな感性や価値観の断絶があると思い込んでいますけど、タバコを吸う男と吸わない男、お酒を飲む男と飲まない男がいる様に、同性愛の趣味のある肉食男と同性愛の趣味のない草食男がいるだけです。同性愛の趣味があるだけで人の事をまるで外国人や宇宙人みたいに扱う人って、同性愛や異性装やGID生殖拒否などの色んなものがごちゃまぜになった、バラエティ番組のオネエ芸人や、アニメ漫画のオカマキャラの様な摩訶不思議な架空のキャラクターを想像していると思われます。

半陰陽の一部の重症の人など、生まれつきに不妊の人が子供を作れないのは体の病気ですが、同性愛の人が子供を作れないのって体ではなく精神の方の病気です。同性愛者を先天的に子供を作れない人達だとするのは、性同一性障害の人が自分を半陰陽だと偽るのと同じで、精神の病気を体の病気とすり替えています。LGBTやセクシャルマイノリティって要するに子供を作らなくてもいいよ権を持っている、生殖を免除された人々です。働かなくてもいいよ権とか労働を免除された人達がいたら仲間に入りたいですか。同性愛や異性装の趣味があっても、生殖を免除されたい人でなければカミングアウトをしたりLGBTの運動には接近しません。逆に子供作らなくていいですよ権が欲しい人は、同性愛や異性装の趣味がなくても、Xジェンダーだとか変なカタカナや造語を並べて、自分もLGBTの仲間であると必死に訴えたり、フェミニストのレズビアンの様に同性愛を背伸びして自分から習得しようとしてカミングアウトをします。

「生殖を免除された人達」って言い方だとまるで何か特別に保護してもらってるみたいですけど、実際は真逆でナチスに目をつけられたユダヤ人でもあります。生殖しなくていいですよ権ってガス室に入ってもいいですよ権です。虐殺される事には物凄い抵抗を示す人達が、虐殺の代わりに自殺する権利をぶら下げられると、我も我もと自分から喜んで食らいつきますので、ナチスはこれを利用して消極的なジェノサイドを実行しましたが、世間的にはガス室のような積極的なジェノサイドの方しか

LGBTの運動とか同性愛やフェミニズムや反出生主義の運動って、やってることはナチスそのものですけど、運動をしている本人はナチスに虐殺されたユダヤ人の気持ちです。自己責任論に反対を唱えながら同時に多様性の尊重を訴えるのも同じです。個性や多様性を尊重する社会って、強いものが正義の弱肉強食な社会を綺麗な言い方にしているだけですし、同調圧力が強くて陰湿な社会って、弱者を見捨てずに助け合う社会を嫌味な言い方にしているだけです。同調圧力の強い陰湿な日本社会を廃棄して、個性や多様性を尊重する欧米の様な社会を目指そうってどういう意味なのか、LGBTの人達は今一度考えてください。自己責任論が蔓延する日本が嫌いと彼らは言ってますけど、実際には「自己責任論(多様性)を認めない日本が嫌い」の間違いだと思います。生殖拒否や性転換は自由な生き方であるって自己責任論の王様的な考え方です。

フリーターという定職につかない人達が、進歩的な生き方の様に一時期もてはやされましたが、いまはフリーターと言えば負け組やダメ人間の象徴です。LGBTやセクマイってフリーターと一緒です。生殖をしない生き方をするダメ人間の集まりです。定職を拒否するのがフリーターで、生殖を拒否するのがLGBTです。本人は「できないのではなく、しないのである」などと主張しますが、生殖できないのは体の病気で、したくないのは精神の病気ですので、精神が病気になるのは結局体が病気になるのと一緒の事です。定職が嫌で足を切断して車いすになるフリーターはいませんが、生殖が嫌で生殖器を摘出するLGBTは少なくありませんので、フリーターよりもLGBTの方が精神の病気が重いかもしれません。

生まれつきに性別が特殊な、本当の意味でセクシャルマイノリティと言える人って、半陰陽の一部の重症の人だけです。同性愛や異性装はどちらもただの趣味です。「同性愛しかできない」とか「異性装しかできない」のはありきたりな精神の病気や発達障害です。「同性愛しかできない人が生まれてくる」とか「異性装しかできない人が生まれてくる」というのは、精神の病気を体の病気とすり替えるオカルトにすぎません。半陰陽の人が自分をセクマイだと自称したり、LGBTやジェンダーやフェミニズムの運動に接近する事はほぼありません。twitterでも同性愛やGIDのアカウントって無数にありますけど、半陰陽の人のアカウントってほぼ見つけられません。生殖拒否のダメ人間がLGBTやセクマイという精神障害の運動に躍起になれば、定職拒否のフリーターばかりになったら国が潰れると等と言う人が出てくるのも当たり前です。実際にLGBTの人達の集まる所に行けば、フリーターやオタクや引きこもり、生活保護の人、精神障害の手帳を持っている人、脳に作用するお薬を常用している人等が物凄く多い事にすぐに気づきます。子供がリストカットや自殺をしようとしていたら止める様に、LGBTの人達を助ける為にはLGBTにちゃんと反対してください。LGBTに賛同すればLGBTの人達が自殺してしまいます。統合失調症の人達が集まって集団ストーカー被害者の会を催すように、生殖を拒否するダメ人間達は、LGBTやジェンダーやフェミニズムの集会を開催して症状を悪化させます。

家族や職場に対して同性愛という趣味を、まるで先天的の難病や奇形であるかのようにカミングアウトする人は、ほとんどが精神の病気です。同性愛者でも、趣味として同性愛を楽しむのではなく、先天的なマイノリティだと主張して同性愛やLGBTの運動をしている同性愛者は多くが発達障害の人達です。1990年にWHOが同性愛を国際疾病分類から除外しましたが、同性愛が病気でなくなったのを、生殖拒否が自由な生き方だと認められたかの様に勘違いしている人が、同性愛やフェミニストの人に多く見受けられます。同性愛は病気ではありませんが、同性愛しかできない事を病気じゃないかのように吹聴して生殖拒否を煽るのは間違いです。同性愛しかできずに生殖を拒否するのは、発達障害の人が年をとって統合失調症になっていく中間のよくある風景の1つにすぎません。健常な同性愛者は同性愛の趣味をカミングアウトしません。親に対して同性愛をカミングアウトするのは、同性愛の趣味を告白しているのではなく、実際には「結婚したくない・子供を作りたくない」という宣言をしているだけです。同性愛はその言い訳にすぎません。頭痛や腹痛や体調不良があっても登校拒否にならないように、同性愛の趣味があっても通常は生殖拒否になりません。登校拒否になるのは頭痛とは別の、生活上の悩みや精神の病気があるからです。

成人男性のほとんどが同性愛を嗜んでいる様な、同性愛がメジャー趣味な昔の時代には、同性愛の趣味があるだけでは自分が特別な存在であるとアピールする事はできませんので、同性愛は生殖拒否の言い訳としては通用しません。現代人って同性愛の事を何にも知りません。戦国時代とかの昔の人達の方が現代人よりも同性愛に関してずっと詳しいんですよ。昔は男は大人になったら同性愛になるのが普通でした。弟も兄も父親も同性愛者ですし、上司も先輩も後輩も同性愛者なのが当たり前です。同性愛ができなければ男にとって仕事になりません。昔の人からしたら、同性愛ってタバコやお酒と同じですので、昔の人達は同性愛という趣味と、生殖拒否という精神の病気をちゃんと識別できてました。同性愛が廃れてマイナーになってしまった今の時代では、現代人は同性愛と生殖拒否の区別がつかなくなっています。「同性愛者だから子供が作れない」なんて言っても、戦国時代の人達は絶対に騙されませんが、現代は大人ですら簡単に信じてしまいます。2割くらいの人は昔の人と同じ様に、いつまでたっても同性愛しかできないのは、いい年してオタクやフリーターやニートであるのと一緒だと、ちゃんと正しく理解してますけど、残り8割の人達は、同性愛しかできないのをGIDとすり替えて先天的な特別な人種だとするオカルトの方を信じています。同性愛はただの趣味、だとか生産性がない、とかLGBTばかりになったら国が亡びる、等と発言すると、この8割の人達に炎上させられます。子供が同性愛をカミングウアトしても、ちゃんと異性と生殖をして世代交代するように教育してください。生殖機能が正常でしたらセクシャルマイノリティでもLGBTでも何でもありませんので、どうぞ安心してください。

同じホモでも女装するホモや女装男を相手にするホモって、一人でオナニーをする時は女性を想像するのが普通で、ホモセックスの最中でも頭の中で女を思い浮かべています。平和な現代でこそ、オナニーの時に想像する性別と、実際にセックスをする性別は一致しているのが普通という事になってますけど、戦時下の男達の間ではむしろ逆で一致しない方が普通です。女性には分かりづらいかもしれませんが、男性の性欲は女性の生理の様な性質があり、定期的に発散させる必要があります。 昔の衆道や男色に見られるように、軍隊など男女隔絶した社会では、オナニーをする時に女性を想像するいわゆるヘテロの男性でも、現実は男とホモセックスをせざるを得ないのが大多数です。

現代人の考える「本物のゲイ」って、多分オナニーをする時に同性である男性を想像する男性の事だと思います。それもふたなりは勿論、中性的な男や女装男やニューハーフなどをオカズにするのは駄目で、ガチムチだったりデブだったり毛深かったり、なるべく標準的な女から離れていれば離れているほど本物であるそうです。私はお酒やタバコをやりませんのであまり詳しい事を知りませんけど、アイコスや電子タバコを吸うのはニセやバイの喫煙者で葉巻のタバコを吸ったり、アルコール度数の高いお酒を大量に一気飲みする人が、本物の喫煙当事者や飲酒当事者という感じなのかもしれません。ケモナーとか動物をオカズにしたり熊系のホモで抜くのは、それはそれで特殊性癖でマイノリティかもしれませんけど、そういう人が生殖を拒否する人と一致するとは限りませんし、現実世界でホモセックスをしている人とも必ずしも同じ心ではありません。戦場で同性愛を経験する人とか、宗教やヤクザの中などの同性愛を嗜む人って、そういう男性的な肉体美に性欲を催している訳ではないと思います。

インターネットの時代になった2000年代からオートガイネフィリアって単語を聞く様、同性愛ってもともとオートガイネフィリアがオリジナルです。平和な世の中が続いて、男性同性愛の中の大多数の人が性転換や女装を再開したから、心の同性愛や脳の同性愛なるものを信じる人が増えたせいで、もともといた機会的同性愛の人をオートガイネフィリアという変な新語で表現する様になりましたが、戦争中は徴兵の問題があるのでAGは性転換をせずに同性愛と同化して識別不可になります。平和な時代になるとAGは異性装や性転換に向かうので同性愛と分離して区別しやすくなり。現代人は軍隊の中などで一時的に同性愛をしても、娑婆では普通に異性との性交渉を好む人を本物の同性愛ではないとかバイだとか言いますけど、オナニーのオカズって食べ物の好みの様に変更可能であるのが健常です。アレルギーや毒がない分、食べ物の好みよりも自由ですが、食べ物の好みと関係なく、食べる事そのものを拒否するのが病気な様に、性欲の対象がなんであっても、生殖拒否は病気です。戦争の時代なのに異性愛しかできないとか、平和な時代なのに同性愛しかできないって、どちらにも精神の病気の嫌疑がかかります。

宗教や軍隊の機会的同性愛やオートガイネフィリアは偽物の同性愛であり、先天的な脳の同性愛がある、それの証拠としてマッチョ男やヒゲモジャや熊系男をオカズにする人を持ち出してきます。それはそれで特殊性癖な


私はお酒もタバコもやりませんので、詳しい事は知りませんけど、アイコスみたいな電子タバコを吸


LGBTとかセクシャルマイノリティって、平成の時代にフリーターや精神障害者の間で流行した病的なオカルトブームです。血液型性格診断とオウムとマクロビオティックと整形依存を混ぜた様なものでしょうか。平和な時代が長く続けばみんな飽き飽きして、戦争の悲惨さを忘れて、同性愛を素晴らしい事の様に賛美する人が出てきます。性同一性障害の人は性転換を戦争と言いますし、フェミニストやLGBTの運動をしている人達って、ヘル日本を「サバイバル」する、みたいな事をよく言います。平和な日本にいるのにまるでサバンナや戦場にいるみたいです。三島由紀夫は平和な世の中に適応できずに、戦争に参加できなかったのを悔やんでいたので、あんなに背伸びして同性愛を演じていました。 平和な時代が幕を閉じて戦争の時代に突入し、昔の様に同性愛が流行る様な時代になれば、LGBTやセクマイなどともはや誰も言わなくなり、同性愛はただの趣味で生殖拒否は精神の病気の症状だと、世間の大多数が本当の意味で同性愛を正しく理解する時代がやってくるでしょう。



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